指揮者の気まぐれとコンサートマスター
※かなりの問題作となっております。(^_^;
N響のコンサートマスターも務められているヴァイオリニストの篠崎史紀さんのYouTubeの動画が、指揮を学ぶ上では大変勉強になっている。
誰でも微笑んで聞いてしまう、清濁併せ呑んだ語り口には、独自の魅力がある。コンサートマスターのお仕事のお話についても。
私は学生や社会人の吹奏楽指導を通じた指揮の経験が殆どだが、コンサートマスター無しで合奏するケースが殆どだった。コンサートマスターの役割も、必要性も、あまりピンときていなかったと思う。
最近の私の指揮・指導は、仕上げ時の練習の時と本番の時に、主に技術的な理由により、基本的なテンポを変えないでおこうと考えている。それが本当に良いことなのか は議論百出することと思うが、合奏練習場に来た時にしか楽器の練習ができないメンバーが多い社会人のバンドをまとめる上で一定の成果を上げてきた反面、それでもまとめきれない反省点がいつも付きまとう。指揮者の力量なんだなぁと。。
そんな時にコンサートマスターの役割のお話を聞いて、ふと思った。コンサートマスターは、指揮者がやりたいことの要点を押さえ、分かりやすくメンバーに伝える、注意喚起することも、できるのだと。
たとえば本番演奏で、その場その場での音楽の流れに応じて指揮者にインスピレーションが働き、テンポや間合いがその一瞬だけのものになってしまったとしても、”コンサートマスターが同調してくれれば”楽員は指揮者と一体となって、乱れずに演奏してくれる、あるいはすることができるのではないかと。そこにはコンサートマスターとの信頼関係が影響してくるのではないかと。
本番中に指揮者がいつもと違う間合いやテンポに変えてしまうことを、仮に「指揮者のきまぐれ」と呼ぶことにしよう。コンサートマスターは、指揮者のきまぐれにも対応できるならば対応してくれる、指揮者にとっても、楽員にとっても、必要な存在ではないかと。指揮の初心者が指揮法を学んでいく時に、それを知っているかどうかで全く違ってくるのではないかと、ふと思うのである。
#コンサートマスターがいる楽団の指揮を殆ど経験していない私には雲を掴むようなお話です。
今後私は、先日入団したアマオケで指揮者としての経験を補完・修正しながら、コンサートマスターがいる楽団の指揮を経験させてもらう予定になっています。
N響のコンサートマスターも務められているヴァイオリニストの篠崎史紀さんのYouTubeの動画が、指揮を学ぶ上では大変勉強になっている。
誰でも微笑んで聞いてしまう、清濁併せ呑んだ語り口には、独自の魅力がある。コンサートマスターのお仕事のお話についても。
私は学生や社会人の吹奏楽指導を通じた指揮の経験が殆どだが、コンサートマスター無しで合奏するケースが殆どだった。コンサートマスターの役割も、必要性も、あまりピンときていなかったと思う。
最近の私の指揮・指導は、仕上げ時の練習の時と本番の時に、主に技術的な理由により、基本的なテンポを変えないでおこうと考えている。それが本当に良いことなのか は議論百出することと思うが、合奏練習場に来た時にしか楽器の練習ができないメンバーが多い社会人のバンドをまとめる上で一定の成果を上げてきた反面、それでもまとめきれない反省点がいつも付きまとう。指揮者の力量なんだなぁと。。
そんな時にコンサートマスターの役割のお話を聞いて、ふと思った。コンサートマスターは、指揮者がやりたいことの要点を押さえ、分かりやすくメンバーに伝える、注意喚起することも、できるのだと。
たとえば本番演奏で、その場その場での音楽の流れに応じて指揮者にインスピレーションが働き、テンポや間合いがその一瞬だけのものになってしまったとしても、”コンサートマスターが同調してくれれば”楽員は指揮者と一体となって、乱れずに演奏してくれる、あるいはすることができるのではないかと。そこにはコンサートマスターとの信頼関係が影響してくるのではないかと。
本番中に指揮者がいつもと違う間合いやテンポに変えてしまうことを、仮に「指揮者のきまぐれ」と呼ぶことにしよう。コンサートマスターは、指揮者のきまぐれにも対応できるならば対応してくれる、指揮者にとっても、楽員にとっても、必要な存在ではないかと。指揮の初心者が指揮法を学んでいく時に、それを知っているかどうかで全く違ってくるのではないかと、ふと思うのである。
#コンサートマスターがいる楽団の指揮を殆ど経験していない私には雲を掴むようなお話です。
今後私は、先日入団したアマオケで指揮者としての経験を補完・修正しながら、コンサートマスターがいる楽団の指揮を経験させてもらう予定になっています。