『出会いの社会学』 (追手門学院大学
文学部社会学科 学士論文)
~はじめに~「出会い」の分析にあたって
そもそものきっかけは、「会う」と「出会う」とはどう違うのか、という疑問であった。
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会う・遇う
①[話したりする目的で]人と顔をあわせる。
②[遇う][ぐうぜんに]人に出あう。
▽[対]別れる(わかれる)
出会う
①外で行き会う。[偶然に]会う。
②偶然に知る。▽[対]別れる(わかれる)
③出て来て、立ち向かう。
出会い
①出会うこと。[類]対面(たいめん)
②初めて会って、知り合いになること。
[類]めぐり会い(めぐりあい)▽[対]別れ(わかれ)
邂逅(かいこう)
[人に]思いがけなく出会うこと。また、その出会い。
[類]めぐりあい・奇遇(きぐう)
1)金田一京助他『新明解国語辞典』三省堂を引用
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上の資料は、国語辞典によることばの検討である。「邂逅」とは、「出会い」を、特に人間との出会いを思いを込めて語る際によく使われる。「合う」と「会う」の基本的な相違は、後者には「人が」という前提条件がある事である。「会う」と「出会い(邂逅・出会うを含めて)」との相違は、後者には「偶然性・不確定性」という前提条件がある事である。
出会いという言葉によって私が思いを巡らせたのは喜びの感情であった。それはまた、何かが変わる、何か新しい考えが始まるという、抽象的だが非常に大切な出来事が、出会いによって表わされているような気がしたからである。O.F.ボルノーは出会いについて「現代の鍵を握ることば」だと言っている。1)
出会いには三つの契機がある。一つ目は、認識以前の(出会いの)瞬間、二つ目は、出会いに気付いたとき(認識)、三つ目は、それを出発点とする未来への新たな展開である。本文では、哲学・社会学・心理学の幾つかの領域の概念を借り、出会いの真の意味を探り当てる事を願い、目的とする。
1) O・F・ボルノー『実存哲学と教育学』峰島旭雄訳・理想社を参考
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第1章 実存としての出会い
~歴史的分析
第1節 実存主義 2)
ごく一般的に、「実存とは」、「事物存在」や「道具存在」のあり方とは異なる「人間存在」の独自のあり方であるという。日本語としては、実存は、真実存在と言う言葉の中間の二字を、あるいは現実存在と言う言葉の中間の二字をとったものといってよい。
第二次世界大戦が終わった直後、フランスで、初めて「実存主義」という名称で新しい思想運動を起こしたサルトルは、1954年10月に『レ・タン・モデルヌ』誌を創刊した。この雑誌の創刊の辞の中で、サルトルは現代人の意識が二律背反によって分裂に瀕していることを指摘した。
一方は、ひたすら個人の権利、個人の自由のみに固執する分析精神であり、それは個人をその現実的な生存条件の外に抽象し、人間をグリーンピースの一粒一粒のようなものとして考える。他方は、個人を無視して専ら集団のみを考える総合精神であり、それは人間を十把ひとからげに取り扱い、個人を階級に、国家に、即ちひとつの全体に従属させ、かくしてその全体観を絶対化する思想である。
現代の不安は、我々が承認し得ないところに由来する。人間は自己の属する時代と環境によって全面的に条件付けられているにもかかわらず、他の何物にも還元され得ない無限の可能性をはらむ一つの中心である。時代は個人の中に、個人は自己の時代の中に、自己の時代を通して自己の立場を選ぶ。社会が人間を作るとすれば、逆に人間はまた社会を作る。このような緊張の時点に我々は実存している。これがサルトルの宣言の要旨である。人間の実存を強調するこの思想が、特に我々の時代に世界的な思潮として出現した要因には、二つのことが考えられる。
一つは、近代の機械的な文明が、人間を平均化し集団化したことの対する反抗であり、人間的実存の抑圧に対する反抗である。巨大な機械と技術の組織の中で、人間は個性を奪われ、単なる生産用具(道具存在)に堕している。このような非人間的な生存の条件に反抗して、人間にその本来の自由を取り戻させ、人間としての独自の在り方、即ちその実存を人間に回復させようとする思想の動きが、実存主義という形で出現したのだという。
もう一つの理由は、二十世紀における二度の大戦によって、人類の進歩という偶像が無残にも破壊されてしまったことである。十九世紀を支配していたのは、人類の無限の進歩向上という甘い信念であった。ところが二度の大戦は、人類が盲目にも自ら一挙に破滅の道を選ぶこともあり得るという冷厳な事実を提示した。今日の我々にとっては、人類の進歩はおろか、人類の存続さえも、疑わしいものになった。人類の明日の生存は無によって我々から隔てられている(無との出会い)。無を介して未来に直面することは、不安以外の何者でもない(不安の時代)。「人間はどこへ行くか」が改めて問い直されなければならない。
現代は人間についての根源的な問いが再び始まった時代である。実存主義はそういった問いに答える一つの試みとして、様々な形で現れた。
2)信太正三・松浪信三郎編『実存主義辞典』東京堂出版を参考
第2節 実存哲学と出会い3)
O.F.ボルノーは、第二次大戦後、ドイツにおいて教育学を新たに建設しようとする試みがなされた時、困難な状況が立ち現れたことを指摘する。1920年代においての人間観は、「人間の内なる想像力に対する信頼の念」であった。しかしそれは、戦争による人間的な弱さ、醜さの経験によって疑念や動揺を引き起こした。「本来悪魔的な悪しき存在」が人間の内に、少なくとも人間の内なる一つの可能性として、原則的に認められねばならなくなる、という人間像の変貌がそれである。実存主義が、この新しい人間像の産物であることは、前述したとおりである。
実存哲学の人間的な根本命題について、ボルノーは「実存」という概念を次のように説明している。「人間には、究極の、最も内なる実存哲学によって特有な概念で『実存』と呼ばれる、一つの核心がある。それは本来、あらゆる持続的な形成を拒むものである。なぜなら、かかる核心は、常にただ一瞬のうちにのみ実現され、しかもまたその瞬間と共に再び消滅していくものであるから、と。この主張に拠れば、実存的な領域においては、本来生活事象の連続性は無く、従ってまたひとたび達せられたものを、その瞬間を超えて保持することもない。それゆえ、まして連続的な進歩というものもあり得ない。あるのは常に、力を集中して瞬間に成就する個々の飛躍と、
その後で再び陥る、非本来的な生活状態への転落のみである」。そして後の瞬間に、時にそこから新しい飛躍が起こり得るかもしれないことを付け加えている。
これらの実存哲学の概念、新しい人間像を出発点として、ボルノーは、非連続形式の教育学というものの可能性へと示唆を導いてゆくのである。彼はその著書において、実存哲学と教育学の間に介在すると思われる幾つかの契機として、危機・覚醒・訓戒・助言・出会い・冒険・挫折について説明しているのだが、本章においては出会いの項のみを紹介してゆく。他の項目に関しては、本文における「出会い」に含まれる諸契機になり得るということを、ここでは示唆しておきたい。
3)O・F・ボルノー『実存哲学と教育学』峰島旭雄訳・理想社を参考
第3節 我と汝 4)
ボルノーはまず、戦前から既にあった、単に自己自身から展開される自我から出発する、主観主義あるいは観念論的な自我といった思想に対峙してい学者達の、新しい出会い概念による議論を幾つか紹介している。その中心は、M.ブーバーによる「対話哲学」である。ブーバーは、その主著において「二つの根源語、"我-汝"、"我-それ"」という概念について述べている。ここでは、木村敏がその著書において簡潔にまとめている文章を引用しておく。
5)
「人間が世界に対してとる態度は、人間が語り得る根源語が二つであること応じて二重である。根源語のうちの一つは"我-汝"であり、もう一つは"我-それ"である。『我それ自体というものは存在しない。存在するのは、根源語・"我-汝"における我と、根源語・"我-それ"における我だけである』。人間は、それを対象物として知覚し、想像し、欲求し、感情の対象とし、思考する。『しかし、我を語るとき人間は、何かを対象物として有したりしていない』。彼はただ関係の中に立つのみである」。本文では二つの根源語について、次のように定義する。
"我-汝"とは、私と他者との関係を統合した相互主観性を指す。"我-それ"とは、対象(他者)を限定的に捉えることによって、私と異なった性格を持つものとの客観的な認識対象との関係である。
この概念によってブーバーは、「自己自身から展開される生」の哲学に対して、「生は汝との共同作業においてのみ、汝との相互作用によってのみ実現され得る。従って、真の生とはすべて出会いである。」と強調した。相異なるものが、互いに並んで一つの共通の秩序のうちにあり得るようなものが"それ"の世界である。それに対して、"汝"との出会いはその都度、ただ一人の汝である。もろもろの出会いは、世界の中で秩序付けられて併存しているようなものではなく、ただその都度ひらめく、しかし各々の出会いにまた、世界が現存しているというのである。
これらは実存の概念とよく似ているが、彼の主張する出会いは、「神からの恩寵である」ことによって感謝に満ちた幸せな感情を特色とし、ボルノーはその点を、それ以降幾つかの、より「実存主義的」な把握と区別しなければならないことを指摘している。
4)O・F・ボルノー『実存哲学と教育学』峰島旭雄訳・理想社を参考
5)木村敏『あいだ』弘文堂より
第4節 精神的世界における出会い
6)
実存哲学が出現するにいたる一つの流れとして、ボルノーは、ブーバーをはじめとする5人の出会い論を紹介している。それらの中で主な指摘を列挙してみると、レーヴィットの「関係の相互性」、リットの「歴史的出会いの可能性」、グァルディニの「実存的出会いによる、自己の有限性を残りなく受容する方向への人間の教育の可能性」等がそれである。
彼らによって拡大された「出会い」の様々な意味付けを、実存的無い見合いに制限することによって、ボルノーは、精神的世界における「了解」概念を広い意味での出会いと解釈し、実存的な出会いと二重に統合することによって出会いの構造を形成した。
一方の"了解"が、精神的世界の豊饒化を指すのに対し、"実存的出会い"は、精神的世界の変貌を表すのである。「偉大な人物の一人が、無制約的な要求の力をもってその人に呼びかけるや否や、精神的世界のあらゆる富も自己の生を拡大しようとする一切の試みも、色あせ、戯れに堕するかのように思われる。精神科学において了解の過程を通じて創造的な形成の続行として重要であったことが、今やその意義を失うのである。けれども、それは本当に誤りとなったわけではない。それは相変わらず存続している。ただ、この際経験された、他の一切の要求を排除するほどの要求に比べると、非本質的なものに貶められるだけである。このような事態を概念的に定着するために、『獲得』という言葉を用いるのが望ましい。
出会いの了解的側面と実存的側面は、「汲み尽くせぬほど潤沢な歴史的・精神的生の豊かさと、歴史上の偉大な人物との出会いから生ずる無制約的な要求の力との対立である」。これら精神科学の二つの展開面は、打ち解け難い対立緊張の状態にありながら、しかも必然的に関りを持つということである。ただ、豊かな可能性に対して開かれてあることによってのみ、究極的に価値あるものも捉え得るのである。
6)O・F・ボルノー『実存哲学と教育学』峰島旭雄訳・理想社を参考
第5節 連続・非連続形式の教育学
7)
教育は、子供をより大きな完成へと徐々に導いて行こうとする連続的な陶冶の過程とみなされる。ここでは、教育の本質的な前提として、陶冶され得る能力、すなわち被陶冶性が仮定されている。教育学における人間論のモデルは二つある。
一つは教育を機械的な製作に類比して、被教育者をどのようにでも加工できる物質とみなすもので、「工芸論的モデル」と呼ばれる。もう一つは、子供は任意に作り上げることは出来ないから、子供の成長に必要な前提を整え、養分を与え、成長を妨げる障害を取り除くのが教育であるとし、「有機体論的モデル」と呼ばれる。
しかし、この楽観的人間観は、二つの世界対戦によって崩壊したことは前述した。ボルノーは、新しい教育学を作り上げるために、実存哲学の人間観を借りることでこれを解決しようとしたのである。
実存哲学には、人間生活の中には突然予測せずに起こる事件があり、それと人間が対立するときに、主体性の覚醒があるとした。主体性とは、陶冶によって作り上げることの出来ない実存の存在構造である。
教育の連続形式と非連続形式は、相互補完的に人格の陶冶と主体性の回復を求める全体形式となり得る。
7)吉田正教授『教育社会学講義資料』を参考