指揮者か?指導者か?(その3) ◎ ~デジタルとアナログ


ある高校で初めて、曲についてのパート練習を指導した時のこと。

1年生の中に、プロ奏者が沢山指導に入っている中学校出身の子が

いた。さすがにタンギングなどの基本がしっかりしていて、私の指摘点

についても理解さえすればすっと直すことが出来る。こんな子は今まで

あまりいなかったので、指導者としてはやりやすく感じた。だがしかし、

技術的な指摘については、しばしば戸惑ってみせた。どうやらこちらの

言い方が遠回し(抽象的)になるとわかりにくくなるようで、もっと単純

明快なコトバに言い換えると、ニュアンスなどに物足りなさを感じるが、

やはりすっと直してくれる。もちろん私の言い方に慣れていないせいも

あるけれど、それだけでは済ませられない気がした。

指揮者の側に立つと、「指摘したことが思うように伝わらず、直らない

もどかしさ」というものが出てくるし、奏者の側に立った時も「指揮者の

やって欲しいことがよくわからない、直し方がわからないもどかしさ」

というものが出てくる。


私はどちらかといえば学生時代に厳しく仕込まれたというよりも、二十歳

を過ぎてから個人レッスンや自己研究で音楽や吹奏楽を学んだ部分が

大きいので、どちらかといえば感性で音楽を理解しようとする傾向がある。

指揮についても、巨匠作曲家や巨匠指揮者の音楽に憧憬と崇拝の念を

持ち、感性的な表現に目がいきがちであった。しかしこの「感性的な表現」

「抽象的な表現」は、中高生の吹奏楽(器楽)教育では、そのまますぐには

使えない。


中高生~これも一緒くたには出来ないが~このくらいの年代の子の指導

には概して「子供にわかりやすい言葉とたとえ」が必要である。たとえば、

「大きな音で、まっすぐ伸ばす、はっきり舌で突いて止める、ローソクの火

を続けて吹き消すように」「レンガのような音の形」などである。あるコンク

ール強豪の高校バンドを卒業した人が、コンクール指導についてこうアド

バイスしてくれた。

「子供に音楽的なことを言っても、わからない。音の出だしの形と終わりの

形のパターンを決めて、ここはこう、あなたはこう、という風に、一人ずつ

全部決めてあげればいい。」


たとえば音楽指導は「アナログ的指導」、器楽指導は「デジタル的指導」

という風に、指導法について細かく分けて考えてみてはどうだろうか?。

デジタル(器楽演奏)技術が土台となって、初めてアナログ(音楽表現)

技術が可能になると考えることは、若年者やアマチュア指導を考える上

で役に立つと思うのである。指導する相手のレベルや、指導の段階に

よってデジ:アナ比率を考えても良いし、その決定には、指導者自身の

信念や好みを織り込んだアナログ的な考え方が入り込んでも良いと思う。

指導者の個性や信条を尊重しつつ、様々なバンドや奏者に適応もできる

指導方法を考案することは、両者の幸せにつながることなのだから。


名指揮者というのは、相手のオーケストラの力量によって、トレーナー性

でリードした方が良いのか、音楽性でリードした方が良いのかを、瞬時に

判断出来る人なのだという。名指揮者にはなれないかもしれないけれど、

 「自らの環境に適した指揮法のできる人」になりたいと思う。

[04/09/03]