◎ 指揮者か?指導者か?(その1) ◎
私は『銅賞物語』を書いた年から、母校のコンクールを3年連続振った。
あとの2年については、書かなかったというか、書けなかった。(・_・;
”鬼”と化した2年目、レイラの願いは丘の上に散った。怒鳴り散らしても
無駄だと悟り、”仏”になったと言われた3年目。「3度目の正直を!」と
の願いも虚しく、参加賞のロンド(小編成奨励賞~B部門銅賞~小編成
奨励賞~)がこだました・・・。
3年間共に頑張ってきた生徒達と迎えたその瞬間は、あまりにも辛く、
翌年はとうとう引き受けることができなかった。そして卒業したばかりの
子が指揮をしたら、B部門で銀賞になった。金賞で沸く他校にも増して
沸き沸いた母校の銀賞(^_^;)。私も涙が出るくらい嬉しかったが、私の
コンクールに対する思いは、複雑というか、恨みにも似たものになって
しまったような気がする・・・。
ところで私が3年目に選んだ曲は、アーノルドの「プレリュード、シチリア
ーノとロンド」という、大変演奏効果の高い(と思って選んだ)曲であるが、
一人の審査員の方が講評用紙に「指揮者は華麗でした」と書いてくれた。
「そう書くなら優秀賞くれよー!」と正直に思ったのだが(^_^;)、それでは
今までの一生懸命やってきた指揮法への取り組みは何だったのかなぁ
と、ますます複雑な心境に陥るばかりだった・・・。
この3年間と少し前後して、いくつかの中学校の吹奏楽部の先生方や、
吹奏楽指導者の方々とのお付き合いが始まった。そのコンクール指導や
コンクール本番のステージを客観的に見させていただいたり、いくつもの
学校の演奏を続けざまに見せていただきながら、演奏と指揮の関係に
ついて、今まで色々と思いをめぐらせてきた。
多くの指導者が異口同音に言うのは、指揮法より
も指導法のウェイトが
高いということであった。
で、これは仮の話だが・・・。
吹奏楽コンクールで、2つの楽団がほぼ同水準の演奏をした
とする。
片方の指揮者は派手な指揮ぶり、片方の指揮者は控え目な指
揮ぶり
だったとすると、どちらがより好印象を受けるだろうか?
・・・と、ある日妙なことを考えてしまった。
「派手」という言葉と「控え目」という言葉が正対称かどうかはこの際
問わないこととして、最近の私は、もし自分が審査員だったとしたら、
「控え目」な指揮ぶりの方に好印象を持つ確率の方が高いんじゃない
かなぁ?と、思うようになってきつつある。
「控え目」な指揮ぶりの方は、時間をかけて完成度を追求してきたことを
伺わせ、「派手」な指揮ぶりの方は、あたかも練習での詰めが足りなくて
指揮者が無理やり引っ張っているように見られそうだからである。
実際のコンクールの場でもそのようなケースは思い当たる節が多いの
だが、みなさんはどう思われるだろうか?。
(もちろん、両方逆のケースも存在する。)
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別に吹奏楽コンクールの指揮を論じたい訳では
ないが、私の場合、
コンクールでの指揮とはどのようなものか?を考え
ることが、結局
指揮法というものについて再考するチャンスになっ
たのである。
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プロのオーケストラの場合、1回のコンサートにかけるリハーサルは、通常
2~3日程度だそうである。個々に高度な技術水準と豊富な演奏経験を持つ
奏者達を集め、コンサートマスターを中心として大人数であっても、ある程度
室内楽的なアンサンブルを作り上げることの出来るプロオケに対し、プロの
指揮者は短時間で効果的なリハーサルを
行わなければならない。
極めて単純にこの点だけを比較するならば、楽器を始めて間もない学生を
相手に数十日数ヶ月を費やし、少ない曲数に多くの合奏練習を重ねて本番
を迎えるような活動とはやはり、大いに違う。私も、初めて指揮台に立った
頃は、指揮とは『指揮法教本』で学び、『指揮法』を駆使してリハーサルを
重ねるものと思っていた。
しかし、相手は初心者から中級者までが入り混じるアマチュアの集団で
あり、1つのコンサートに長い期間や多くの日数を費やしてリハーサルを
行っている。これはもう、例え『指揮法教本』に載っている技術を全て完璧
にマスターしていても、それだけでは完璧にダメである。
通常『指揮法』と呼ばれているものは、実は次のことを前提としていたの
ではないだろうか?。
○演奏のために必要な、知識・技能・経験を持つ奏者に
よ
る楽団
○比較的短期間のリハーサルで、曲を教えなければなら
な
い場合
『指揮法』のテキストの存在に比べると、『指導法』のテキストは増えては
きているものの、まだまだ少ない。指揮法を本だけで学ぶのは、実際は
かなり困難なことだし、『指導法』はもっと難しい。優れた指導者の下で
奏者として早期から学ぶことができればごく有利ではないかと思うし、
たとえそういった機会に恵まれなくとも、積極的に優れた指導者の指導
見学を申し込み、個人的にもお近づきになれる努力をして、その言葉に
触れる機会を多く持つことが、『指導法』を学習するための希少な手段
であるというのが、残念だが現実だろう思う。
[04/05/22]