◎「他人(ひと)の良いところは認める、自分の悪いところは認める。」◎
なんだか、『別冊PHP』の見出しのようである。これは7~8年ほど前にお世話に
なっていた会社の朝礼で、あるパートの主婦の女性がおっしゃっていた言葉である。
このような言葉は、ふだん何気なく聞いていると、記憶には残らない事が殆どだが、
この女性は本当に人柄の良い方で、音楽教室と楽器の普及・販売という、人間相手
の難しい仕事を、無理をせず、人徳だけでこなされていたのである。
それは、たとえ上司といえどもこの人の前で頭の下がらない人はいない、と言っても
過言ではなかった。
自分の経験上からも、「他人(ひと)の良いところは認める、自分の悪いところは認める」
ということを貫き通すのは、容易な事ではない。自己意識というものは、他者の眼差しと
共に多面化されており、自分を良く見せようとする意識が過剰になってしまうと、普段
唱えている理想的な行動と、自分のとった行動が矛盾してしまうことは、誰にでも起こる
可能性を持っている。
「他人(ひと)の良いところは認める、自分の悪いところは認める」という言葉は、こういった
"人間の本性に歯止めをかける"という意味において、”教育と文化の原点”にあるものでは
ないだろうか。
既に完成されたものや、自分にとって都合良く、また心地好いものを求める意識は、
人間社会に空間的な繁栄をもたらすための非連続的な側面を示し、”教育”-人を作り、
人を育てる様式-や”文化”-人と人とが関わりあう様式-というものは、人間社会に
時間的な繁栄をもたらすための、連続的な側面を示している。人々の音楽に対する
認識や演奏のなされ方も、長い歴史と地域の風土の中で姿を変えているものだという
見方が、必要なのではないだろうか。
大変大きな、漠然とした話のようだが、社会人となってから余暇を利用して楽団に
参加したり、ホームページを開いてネット社会に参加したりする中では、人間と人間
との関わり、人間と社会(集団)との関わりについて、いろいろな局面に遭遇する。
時にはこうした大きな視野に立って考えてみると、ふだん見えなかったものが見えて
くる事も、あるように思う。
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なかなか思うように書くことは出来なかったが、今後も折に触れ、考えてみたいと思う。
[99/09/30]