指揮者とひいき 


「あなたは(特定の奏者を)ひいきしている」と言われたことがある

指揮者は、案外少なくないのではないだろうか?。

「ひいき?ああ、してるよ!」という場合は(^_^;)この際置いとくとして、

「そんなつもりはないんだけど、そう言われても仕方がないかなぁ」

という場合は、結構深刻に悩んでしまうのだろうと思う。

また、あからさまに「ひいき」は言われなくとも、

「あの奏者は私のことを、心良く思ってないだろうなぁ・・・」

「あの指揮者は私のことを、心良く思ってないだろうなぁ・・・」

といったケースは日常当たり前のように起こり得る。いちいち気に

していては身が持たないのだろうが、そのことが元となって

『指揮・指導上の伝達・要求の実現』が妨げられてしまうような

事態を招かぬようにする方策、速やかに解決の方向に向かわせる

ような方策、について、今回は考えてみたいと思う。


私は指揮・指導をする際、「じょうずにOK・NGのサインを出す」と

いうことを大切に考えている。多くの場合、指揮・指導者達は

「良くない部分を指摘し、改善していく」という面ばかりに目を向け

がちだが、たとえば演奏に欠点が見られなかった奏者は放って

おけば良いのか?、と考えてみる。私が奏者だったら最も不満に

感じるのは「指揮者から何の反応も得られない」ということである。

そうしてただただ放って置かれるよりは、たとえ共感できない要求、

理解し難い要求であったとしても、何がしか反応され、指摘される

方がましである。(練習不足を自覚している場合に限り、なるべく

隠れていたいけれど。(^_^;)


良い奏者とは、このようなものだろう・・・

「よーしわかった。よっしゃーよう言った!。あんたの言う通りに

演奏してやろう。そのかわり良い音楽、おもしろい音楽、納得

できる音楽ができなかったら、次からは知らないよ!。」

少々大げさに書いたが、疑問を感ずれば質問もできるだろうし、

そうした方が良いと判断すれば、自分の考えを意見として呈する

こともできなくはない。一番つまらないのは「こんなのででいいん

かなぁ?指揮者の考えてることがようわからん・・・」という場合

である。


「それで結構」という場合は、目や表情で示す。必要な場合は

言葉をかけたり、指でOKのサインを出したりする。「素晴らしい

指揮者とは、奏者がいつも自分を見られていると思うのだ」

いう言葉はおそらく、必要なタイミング、奏者が欲しいタイミング

を感じて的確なタイミングでOKやNGのサインが出せる、という

意味なのであろう。


この辺は成熟した大人の奏者が相手の時でも、スクールバンド等の

時でも、非常に共通していることだ。まだ奏者としての自信や自覚が

持てていない中高生の場合には、言葉を使って積極的にほめることが

一人の小さな音楽家として育てて行く上で更に効果をあげることを、

優れた指導者達から学ぶことができた。まだ満足できるレヴェルに

達していなくても、良い方向に歩み出しているなぁと思えば、OKの

サインを出す。奏者に自信が生まれ自覚が育てば、こちらが十まで

言わずとも、自らより良い方向へ進んでいきたくなるものなのだから

である。


こうして昔からなるべくほめることを重要視し、意識的に行ってきた。

例えば合奏練習中に、ある奏者が際立った演奏をしたと思ったら、

みんなで拍手してあげる場面を作ったりすることで練習の雰囲気が

なごやかで積極的なものになる、という場面も確かにあった。


ただ、人間誰しも認められたいし、ほめられれば誰だって嬉しい。

他の優れたプレーヤーを認めることにははばからないが、自分だって

優れたプレーを目指して努力しているのだから、正しく評価されないと

感じたり、他者が過大に評価されていると思えば不満が生まれる。

この辺に「偏っている、ひいきしている」と取られかねない危うさが

潜んでいるような気がして最近は、人をほめるのではなく、プレーを

ほめるようになってきている。


人の指揮・指導を見学していると、誰もが認める卓越した奏者を

集中的にほめて、他の奏者に見習うように言っている場面をたまに

見かける。もちろん全体にプラスに作用させるために言っている

訳だが、あまり続くと聞いている方が次第に劣等感を感じてしまい

そうで、ちょっぴり怖い。より多くのプレーヤーとコミュニケーションが

とれるようにし、ひいきなどと偏った取り方をされることが少なくする

ための工夫をしていくように勧めたい。


・「奏者」をほめるのではなく、「プレー」をほめる。

・OK・NGサインが出しやすく、伝わりやすい指揮を心掛ける。

[03/07/06]