◎ 自論「器楽演奏と歌」・・・序論 ◎
今日ほっちゃんとチャットでしゃべっていて話題になったこと。
最初は「トロンボーンでハイトーンを出すにはどうすれば良いか?」という
質問だった。私の答え・・・。
1.少しアゴで息をプレスして息のスピードを早くしてやって・・・、
2.あとは楽器で強く歌う気持ちが必要。
たぶんこんな教え方をする人は少ないと思うけれど。・・・(^_^;
1.は、技術的というか具体的な方法論の一つだから意味がわかると思うが、
2.の意味がすぐわかる人はおそらくいないだろう。ここで私が言いたいのは、
「声を出すだけでは歌ったことにはならない」ということ。
「はっきりと発音する」「たっぷりとブレスする」「息を揺れずにまっすぐに
伸ばす」「ビブラートをつける」ということは、美しく歌う、正しく歌うため
に必要な要素であるが、
「歌の文脈とフレーズに添った表現」「感情に沿った自然な抑揚」「歌い手の
表現に対する意欲の新鮮さ」などいわゆる『歌心』の部分は人に教えたりする
ことが難しい。相手が楽器の初心者なら、前者のような技術的で具体性のある
教え方をする方が効率的でもあるだろうが、ただ「大きな音」「濁りの無い音」
「ピッチの正しさ」「ビブラート」等をばかりを頭に置いて演奏している学生の
音を聞いていても、それが「美しい音」だとは思えないことがどうしても多いの
である。それが「器楽的」ということの本質だとは、どうしても思えない。
器楽合奏とは、一人で思うように歌うこととは違って「他の人と揃える、協調する」
という要素が入ってくるのだけれど、それは「多くの人がみんなで一つの歌を作り
上げることができることの素晴らしさ」と「一人一人が全体の秩序に基づきながら
個を主張し歌い上げる」ということが互いに背反せず両立した時に生まれる
「人間の自立と協調の、理想的な結合の可能性」を発見したときにこそ初めて、
「器楽合奏」の意義というものが見出されるのではないだろうか?。
・・・ちょっと酔ってきましたね、酒と「自論」に・・・。(笑)
「個人は社会に促して個人であり、社会は個人に促して社会である。
社会と個人は相互に内在している。」(ギュルウィッチ)
[02/06/05]