◎ 「アンサンブル状態」とは? ◎
今年の吹奏楽コンクール課題曲の「追想」という曲には、こと細かに
「(poco)rit...a tempo」の指示が書いてある。
rit(ardando) だんだんテンポを遅くして
a tempo 元のテンポに戻って
poco わずかに、少し
いわゆる「テンポを揺らす」ということなのだが、実際は「テンポが揺れる」と
いった方が、本来の意味に近いと私は思う。複雑な気持ちで過去を振り返る。
何か断片的に、あるいは連想的に思い出すたび、気持ちが高ぶったり、落ち
込んだりしてさまざまな思いが交錯する。そういった非常に不安定でうつろい
やすい気分を表現するための指示ではないかと思うのだが、例えば参考演奏
のCDを聞いてその通りに「(poco)rit...a tempo」をつけても、ただぎこちない
だけの演奏からなかなか離れることが出来ない。そこの音楽に何かブレーキを
かけるための動因が無いと、指揮が難しいだけで終わってしまいそうである。
そこで、全体をテンポや曲想の変化に応じて大まかに9つの部分に分け、次の
場面への移行・導入のためのritardando(allargando,smorzando)以外には
便宜上すべてカッコ()をつけ、練習段階ではそこはイン・テンポのまま行くことに
した。参考演奏を聞きなれた耳には何だか物足りないようだが(参考演奏を
あまり聞きすぎるのは危険。一日から数日しか楽譜をさらわずに演奏できる
指揮・演奏の専門家達と多くのアマチュアバンドの条件的な差はあまりにも
大きいからである。)、音楽の流れがスムーズになり、テンポの変化が単純化
されたことにより、全体の構成が一層浮き彫りになった。
停止記号(フェルマータ、カンマ)に応じて段落分けするとこうなる。
Tranquillo
Leggiero→Gentile→Alla siciliana
Leggiero→Alla siciliana
Adagio→Maestoso→Tranquillo
※この構造分析が絶対というわけではありません。
先日この曲の演奏についてある吹奏楽指導者の方に相談してみたところ、次の
ようなお返事が返ってきた。
「テンポの揺れは、くり返し練習してアンサンブル状態にしておかないと、
(そう簡単に”揺れ”状態には)ならないとおもいます。」
ここでいうアンサンブル状態とは、文字通り指揮者をおかない室内楽という意味に
近い。合奏リーダーが定めたテンポ感を掴んでから演奏することの出来る奏者、
自分と同パート、異なるパートとの統一、掛け合い、バランス等聞きながらという
本来的な意味でのアンサンブル演奏が初めからできる奏者は大人でも少ない。
指揮者を立てないアンサンブルにおいては、アンサンブル能力を向上させなければ
テンポの緩急(アゴーギク)をつけるということは不可能といって良いだろう。
「吹奏楽コンクールの曲ということは指揮者がいるんだから、指揮者がきちんと
緩急を振り分ければそれで良いのではないか?」という意見も出そうだが、実際は
指揮者も音は出さないが、「奏者達と共にアンサンブルをしている」という側面が
ある。連続的なテンポの変化というのは「連続的な指揮の変化」が「連続的に演奏に
反映」されなければならないから~この文章ちょっとわかりにくいかな。(^_^;)~、
指揮者と奏者の双方にアンサンブル能力が備わっていなければ、「指揮者の
思い通りの演奏」というのは、存外難しいものなのである。
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指揮者のアンサンブル能力とは何か?。非常に難しい問いだが、
一つ楽団の"重さ"を感じて指揮をする、ということがいえるだろう。
一例を上げる。メロ振りなどと揶揄される事だが、曲のメロディ(主旋律)の部分"だけ"を
聞いて気持ちよく歌って振ってばかりいると、メロディの人達にしかアピールの出来ない
指揮になりがちである。
メロディがフレーズの中で細かく動いて盛り上がったりフレーズの終わりで落ち着いて音を
長く伸ばしたりしていても、リズムやハーモニーの、対旋律の動きはそれに「反行」して
いることも多い。主旋律の動きとそれに反行する動き、バックで一定のリズムや大きな
ハーモニーの動きの人たちにどのように演奏してもらいたいのかといういう考えが無くては
ならないし、それが確実に伝わっているかどうかを指揮者は常に把握しておかなければ
ならない。
指揮者は1人の人間だが、合奏とは一度に何十人が動きを合わせる作業である。
指揮者が意思を示してから返ってくる反応の質とか時間(といってもほんのわずかな)は
実際にはその時の楽団の条件に応じてさまざまなのである。
リーダーには「俺についてこい!」という気概は欠かせないが、メンバーの全てが
ついて来れるようになるような配慮もまた、欠かせないのである。
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奏者のアンサンブル能力についてはこれも上げ出せばきりがないが、一番基本となる
のは、テンポ感をしっかりと掴んで演奏するということだと強く思う。
もっといえば、合奏リーダーや指揮者が示した「いま」「ここ」のテンポをメンバーが
共有するというのがアンサンブルの原点である。ところがなかなかそうはいかない。
個々の奏者が曲に対してすれ違った考え(解釈)を持っているのはどこでも似たような
事情だが、合奏リーダーを置かなかったり、ルールがあいまいだったりすると、仮に
テンポを決めても常に不安の付きまとう演奏になりかねない。
(もっとひどい場合には、個々のメンバーが自分の気に入っているCDのテンポを主張
して引かないなどという悲惨な事態が起こりえないと、誰か言い切れますか?(^_^;)
指揮者の重要な仕事は、このアンサンブル状態を作るという事に尽きるだろう。
よく「指揮の見方」についての疑問が沸き起こるが、少なくとも私は、終始じーっと
指揮から目を離さないというのは、経験上あまり良いことだとは思わない。
その理由をいくつかに整理してみると・・・
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1.私は指揮の達人ではないから、見ていて妙な動きも混じるし、時には間違える
(忘れる)こともある。一挙手一投足の全てを音に反映されると困る、という事情。(笑)
2.1人の人間が指揮に使えるのは、せいぜい1本の棒と、2本の腕と、2つの目と、
1つの脳みそ(ヌカみそ・・・(^_^;)くらいであろう。何十パート、何十人の演奏する動きに
全て合図を出すためには、阿修羅か千手観音に化けるか、指揮者をもう1人か2人
増やしてもらわないと困る、という事情。(爆)
(・・・冗談はさておき、(^_^;)
3.演奏というのは指示を理解していないと音にはできないため、指揮を感じてから
音にする場面が意外と多い。指揮を見続けるだけではなく、楽譜を通じて知る全体の
構成とか流れと照らして先を読み続けていかなければ、テンポ等の連続的な変化に
追いつけなくなることを、私は経験的に感じている。
指揮者をも含めたアンサンブルを実現するためには、指揮は見るだけではなく、
指揮者の意図を読み取ることが必要不可欠だと考えるようになった。
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少し極端な言い方かもしれないが、奏者は指揮者と他の奏者の演奏を聞く⇔参加する
という作業、つまりしっかりとアンサンブルさえしてくれれば、指揮は最初と最後だけ
見てくれればいい、というのが最近の私の考え方である。そのかわり、曲の開始前の
雰囲気・呼吸・予備拍テンポをしっかりと掴んで、曲が開始して数小節もしくはワンフレーズ
の間は、しっかりとテンポその他を合わせに行ってもらいたい。後はテンポが変わらない
限り、要所要所で自分の出の確認と、指揮者の顔色を確認し方向調整するくらいで結構。
テンポや場面の変化に応じてしっかりとした合わせを重要視する部分と、同じテンポが
続くなどして各奏者の自発性に委ねられる場所をうまく判断しながら演奏して欲しい。
「追想」のように、こと細かに「(poco)rit...a tempo」の指示が書いてある場合には、
アマチュアのバンドであればまずはイン・テンポで、アンサンブルがより高いレヴェル
(一体感が感じられる)にまで達するようになってから、
「曲想の求めるテンポの揺れを、一体感を崩さないようみんなで感じる」
そんな方向でチャレンジしていきたいと思っている。
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・・・難しいテーマにチャレンジしましたが、文章の整理が悪いのと内容を欲張り過ぎたのか、
煩雑で長ったらしい文章になってしまったと思います。みなさんの考えを整理し理解しやすく
するために、どうか工夫して役立てていって下さいますように。・・・(^_^)
[02/05/10]