◎ 指揮法の原点と指揮の作用面 ◎
私が『指揮法』という言葉から連想するのは、「こう振れば、こういう演奏になる」
という風に、『初めに指揮有りき』といったイメージである。『斎藤指揮法』の
用語を借りて例を挙げれば、「この曲(場面)では”叩き”を用い、この曲(場面)
では”平均運動”を用いる」といったように、指揮が演奏に作用するという面の
イメージである。
(あくまで一般的・現象的イメージを言っているのであって「指揮法とはこのような
ものだ」といっている訳ではない)
私も高校から数えて指揮を15年以上しているが、特に初めて振る曲や、初めて
振るバンド、指揮の講習会などの準備では、「しっかりとイメージを作って、それを
しっかりと伝えなきゃ!」と思い、ずっとそうしてきた。もちろんそれは、「正しい」と
思う。ただし、指揮の講習会で「あなたは(全体的、または部分的に)振り過ぎて
いる」などと言われても、ひどく困ってしまうこともまた、しばしばあった。
ここ最近、多くのバンドに1回こっきり指揮・指導をしに行くという機会が増えた。
その学校の先生が普段ずっと指導してスタイルを作り上げ、あるいは本番が
済んでいる曲を振らせていただくのは、なかなかのプレッシャーである。
そういった機会を続けて経験してきた結果、私の指揮に対する考え方、具体的には
「振り方の決め方」というものが、少しずつ様変わりしてきた。
その曲の練習がかなり進んでいるとか、バンドの能力に比して技術的に易しい曲
であるならば、要所要所でアインザッツやキューを出す以外は殆ど振らなくて、
「さぁどうぞ、思う通りに演奏して下さい!」というポーズをとっている方が、下手に
1拍1拍振るよりもはるかに音楽がよく流れる場合が「意外に」多いものである。
こういった場合には発想を逆にして、「振らなくて済むならば、振らない方がいい」
という所に考え方の原点を持ってくるのである。そうすれば「棒の位置を(わざと
目に付きにくいように)低めにし、(特にタテの)動きを少なめにして、雰囲気・表情
だけをインスパイアするように」と昔指揮の講習会で注意されたことの意味もよく
わかる。
(このためには、音楽を首尾よくスタートさせなければならない訳であるが・・・)
例えば、ゆったりとなめらかに音楽が進んで欲しい部分でも、柔らかな振り方(斎藤
指揮法でいう平均運動!?)で奏者をリードする場合もあるし、うまく前に流れ出したら
バンドにまかせて拍を刻まない場合もあるし、音楽にテンポ感が無くもったりと前に
進まなくなったら「コチ、コチ、、、」と正確なリズムを刻む(叩く)場合もある。
例えば、勇壮な凱旋マーチのような部分でも、力強く刻んで(叩いて)奏者をリードして
いく場合もあるし、うまく前に進み出したらバンドにまかせて拍を刻まない場合もあるし、
音楽がせかせかと前に走り出したら、大きなフレーズをゆったりとした威厳のある
振り方で(斎藤指揮法でいう平均運動)振り示す場合もある。
いずれにしても、音楽に対する確固たるイメージ、自分が欲しいイメージをもつために
スコアを読んだり沢山の音楽に触れることが大切だし、演奏にじっと耳を傾けて、
こういったいわば『指揮法の原点』と『指揮の作用面』のようなものをたえず状況判断
していくことが、指揮についての難しい問題を解決するための一つのカギとなるのでは
ないだろうか。
[01/12/24]