◎「楽譜を朗読する」ということ(その2)◎
 

先日私は、年に1回の発表会でトロンボーンを吹いて来た。管楽器のソロ演奏と

いうのはピアノ伴奏による形が多いが、合奏の中でしか吹く事の無かった私が

トロンボーンを習い始めて発表会に出初めてしばらくは、悲惨としか言いようの

無いものだった。まぁ最初は誰しも似たようなものだという話だが、合奏の中では

多少危なっかしい演奏をしていても、大勢で吹いていればなんとか聞こえるものだ。

それが、例えば四重奏なんかで吹いていると全く勝手が違い、かなりしっかりと

吹かないとヨレヨレに聴こえてしまう。そしてソロ演奏となると、もう音楽がさっぱり

前に進まなくなる。杖と総入れ歯を奪われたお爺さんを思い出してもらえると、

かなり近いものがある(笑)。ピアノ伴奏を聴く余裕はおろか、自分が何を吹いて

いるかさえしどろもどろで、生きていることすらイヤになってくるのだ(>_<)。
 

そんな私が、もう7年程前、母校の吹奏楽部をバックに『スコットランドの釣鐘草』

という民謡の変奏曲の譜面を買ってきて、ホールで演奏したことがある。それが、

練習場で学生の前で吹く分には結構景気良く吹けていたのだが、本番は「なぜか」

というかう「やはり」というか、ボロボロになってしまった。本番はあがるから当たり

前という片付け方もあるが「後輩の前ではあがらないのにお客さんの前ではあがる

のか・・・」ということがずっと気になっていた。そういえば自分一人で練習している

時は景気良く弾けていたのに、レッスンで先生の前に出ると急に弾けなくなってし

まうといった経験をしたことが無いだろうか?。これは性格に拠るところが大きいし、

私はその典型的な例だと思う。指揮をする時も、とにかく本番に弱くて困ってしまう

のである。
 

最近になって、なぜこうも自分が本番に弱いのか少しずつわかってきた気がする。

日常生活においても「自分が人にどう思われているか」ということが大変気になり、

それが元でしなくても良い失敗を招いてしまうことがよく起こる。だから最近は本番

の前には、もう徹底的に「あきらめる」ことを心掛けていた。平常心を保つためには、

それが一番なのである。どんなに「あきらめたから、どうなってもいい」と口では

言っていても、どうせあきらめきれない自分を知っているからだ(笑)。
 

本番の前、色々と自分がホームページに書いていることなどを思い出し、自分に

「落ち着け、落ち着け、」と言い聞かせる。その時ふと、中野振一郎氏の『楽譜を

朗読する』という言葉を思い出した。じっと譜面を見てみる。今までの自分は譜面を

見て「ここの部分はピアノとずれないかな、ここの部分はタンギングがうまくいくかな、

ここの高い音はちゃんと当たるかな、」などと自分の心配ばかりしていた。自意識

過剰といっても良い。しかしそこに作曲家の書いた音楽が並んでいることを、私は

忘れてはいなかっただろうか?。そう思った瞬間、緊張した中にも少し落ち着きを

取り戻すことができたような気がした。
 

演奏は、・・・演奏が進むにつれ、難しい場面に遭遇するにつれ、あたふたとして

しまう場面も多々あったが、出だしや終わりの部分、休みの後などは結構冷静に

なることができた。あまり気が抜けてもアタックが決まらないので良くないのだが、

肩の力が抜けている時には、練習している時に近い良い音が響いていた。

聴衆の反響も、いつもより良かったようだ。
 

今回のことは、すごく勉強になったと思う。
 

[01/01/08]