◎「1+1」は、?◎
私の仕事は"工事"担当で、先輩がもう一人いる話は以前にもしたと思う。
私が入社したつい5年程前までは工事部には5人も社員がいたというのに、
今では2人きりである。近年の仕事のサイクルは早いもので、同じ仕事で
何年も食える時代は過ぎ去ってしまったが、現場のスペシャリストとして
何としても生き残っていかねばならぬ・・・。
調整・修理など小規模な仕事でも脚立作業等を伴う場合は2人で行くのが
原則だが、当日空いている人がいなければ1人で現場に行くこともある。
実作業は1人で十分だとして、移動・運搬・作業補助など1人で行くよりも
2人で行く方が「3倍」楽だねぇ、という話を最近よくする。
「やりやすい」と思いながら仕事ができれば、時間をかけてより安全確実な
手順で作業に集中することができる。
現場でなくても、例えば会社で急ぎの提出書類作りに追われている時に、
誰かがほんのちょっと手伝ってくれるだけでも随分と救われた気がする。
家でもたまーに(^_^;カミさんの仕事を手伝うと、思いの外ありがたがられる
ことがある。手伝ってもらうことで時間的余裕(ゆとり)ができること以上に、
精神的ストレスが緩和されて、己の作業性も向上するからなのだと思う。
「1+1」の答えは必ずしも「2」だけではない。人と人とが協力するということ
は、時には3倍、いや、それ以上の力を発揮するものではないだろうか。
たぶんみなさんの周りの日常生活のあちこちや演奏活動の中にも、きっと
当てはまる事が見つかることと思う。
指揮者が登場する以前のオーケストラは、演奏者の1人(コンサートマスター)
が指揮をとっていた時代もあったし、現代でも中小編成のアンサンブルでは、
指揮者無しで演奏しているところはたくさんある。また、例え指揮者がいたと
しても、奏者は指揮者と同じような合奏上の調整を絶えず無数に行っている
ものだし、特に編成の大きなオーケストラになると、コンサートマスターと
首席奏者が演奏を引っ張っていくシステムがないと演奏は難しい。
ただし、このような調整行動と自身の演奏行動の両方を行うには限界があるし、
調整の方法・方針というものも統一しておかなければならない。そこで指揮者が
全体の方針決めや調整を行うことによって、演奏者が個としての演奏~いくら
かの調整行動を含む~に集中でき、いくらかの「余裕」(ゆとり)を持つ事ができる
のである。「演奏中」というのはさらっと流していい時と、精神を集中して難しい
局面を乗り越えなければならない時があるから、わずかな余裕が、何倍もの
「大きなメリット」に感じられることがあるのもうなずける。
例えば「目標とし、期待する演奏のレヴェル」が仮に”1”だったとする。
「今日の演奏が0.8だったのは指揮者が楽団の力を引き出せなかったからだ」とか、
「いや、もともと演奏者の方が0.8くらいの力しかなかったのだ」などと言い合う事は
議論の過程では必要なこともあるかもしれないが、「1+1=3倍の論理」で音楽を
より高め、自分達の外側にも音楽を広げていくことができるとすれば、そこからは
きっと広がりのある音楽が聞かれることだろう。
[00/10/15]