◎歌と器楽◎
 

ジェームズ・ゴールウェイというフルート奏者を、ご存知だろうか?

元ベルリン・フィル首席奏者で、ソロになってからは多くのリサイタルやCDなどで

世界で最も有名なフルート奏者の一人である。その音楽性・音色は、フルートという

楽器の枠を超えた『普遍性』を感じさせるものだ。

もう10年以上前だったと思うが、NHKで『ジェームス・ゴールウェイ~フルートの心~』

という番組が放映された。私はトロンボーン吹きだったが、彼の演奏法や音楽に対する

姿勢に感動し、今でも私の音楽の師匠の一人だと勝手に思っている。彼のフルート演奏

は、器楽であって器楽でない。うまくはいえないが、つまりは”うた”だ。
 

私達は、どんな時に”うたう”だろうか。日常生活の場で歌をうたうことって、そんなに

多くはないと思う。自分が一番よく歌っているなぁと思うのは、気分の良い、うれしい

ことがあったときに出る鼻歌だ。またはつらくて仕方がない時に、自分を励ましてくれた

歌を、ふと思い出して口ずさんしまうときなど。

音楽を演奏することは、いわば歌うことの連続だ。しかし、『うたう』ということが本当に

真実味を帯びるのは、自分の心のままに、自然に歌えたときだ。聴き手の共感を得ること

ができるのは、そういった演奏ができた時だと思う。だから指揮者は「ここ歌って!」と

言葉で指示するのも良いが、自分でそのように(気持ち良く)歌って示すことができれば

その方がより良く伝わる場合もあるのではないだろうか。
 

私はトロンボーンを吹くときも、テノール歌手が歌うように吹く。プラシド・ドミンゴとか

キャスリーン・バトル(ソプラノ)などの歌手が好きだし、楽器を演奏するとき、あるいは

スコアを読むときに、自分の中で大好きな歌手に歌ってもらうと、音楽の表情や雰囲気が

掴めるようになることが多い。トロンボーンなど、非常に強暴な感じのするパッセージが

あってもそれを人間の声・歌・叫びなどに置き換えると、音色やフレーズに破綻は起きない。

ソロ・主旋律の時は朗々と、ハーモニーの時は調和と進行を大切に、バスを吹く時は

下からしっかりと支えて、音楽に力強さを与えることができるように。
 

また”ヴィブラート”をどうかけるかは、器楽奏者の多くが一度は突き当たる問題だ。

トロンボーンの先生は、「ヴィブラートは”かかる”ものです」とおっしゃった。

たとえば私は、主に顎を使ってヴィブラートをかけるが、心と体の状態がその歌の表す

意味・雰囲気にマッチしたものでなくては、本当の意味でのヴィブラートにはならない。

ジェームズ・ゴールウェイは、「人間は生きているのだから、生きた音で!」ということを

強調していた。ヴィブラートという事も、「生きていること」「歌うこと」その延長線上にある。
 
 

[99/11/15]