◎非論理的な世論◎
 

運営者を動かす一つの要因として、世論というものがある。

国家レヴェルでいえば、国勢調査・選挙・マスコミなど。

個人レヴェルでいえば、噂・評判など。

国会で立法されるような事ですら、冷静に長い目で考えれば"こんな事がこんなに

簡単に通るのか"ということまで、その時のムードで通ってしまうことがある。

最近の国政は"いったい誰が何を計画してやっているのか"と思うような場当たり的な

政策が多く、目を覆いたくなるようなこともある。

警察というもののあり方も、大変問題視されている。

学校というもののあり方も、大変問題視されている。
 

だがなぜこれらの運営・統治制度は作られたのだろうか?
 

ここで考えたいのは我々自身の"まなざし"と"ことば"のことだ。

権力を監視するという『錦の御旗』で"権力者"に対する責任追及と"悪者呼ばわり"が

行き過ぎた結果、"権力者"は人目を意識し過ぎる余りに事実を隠し、矛盾を先送りにし、

自信と誇りを失い、それらが重なって『本来自分のやるべき事』が見えなくなってしまって

いるのではないだろうか。
 

政治・運営・経営その他、『人が人を治めるという仕組み』を考えた時に、

統治者・被統治者の双方は『問題は制度にあるというよりは運用にある』ということ、

運用に問題があるということは『統治者・被統治者の双方に問題がある』ということを

忘れてはならないと思う。特に現代の情報が発達した時代においては、統治者が

独裁的な統治方法を取る余地は減少し、被統治者の声が統治者を動かす余地が

増大する傾向にある。
 

それは、被統治者にとっては『諸刃の剣』ではないのだろうか。
 

[00/01/09]